青葉ビジネスホテル

〒980-0814 宮城県仙台市青葉区霊屋下8―9

青葉ビジネスホテル
↑アットホームな別館の外観

低価格のビジネスホテル。駐車場無料、全室バス・トイレ付き

低価格のビジネスホテル。普通車駐車無料、全室バス・トイレ付。仙台駅からは約2キロありますが、一番町アーケードまでは徒歩約15分です。全室無料にて無線LANによるインターネット接続ができます。

青葉ビジネスホテル

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ビジネスホテル旅行記

06野上本館を探検する(プチ別府の旅その6)(by くに・クマさん)

ビジネスホテル
普段の一人旅だと、無駄に入れ込むドーミー系列のリゾートホテル以外では大抵ビジネスホテル宿泊。
今回もそのつもりで探します。
別府は温泉付きのビジネスホテルが多いので目移りします。
でも、結局、選んだのは旅館タイプの野上本館。
ネットの評判がよかったのと、無料の貸切風呂があったから。
結果としては、評判どおりのいいお宿でした。

【旅行時期】2009/02/08~2009/02/09
【エリア】別府温泉
【テーマ】温泉・エステ・癒し
【投稿者】くに・クマ

眺めのいい部屋への旅 -- ポルトからサンチャゴコンポステーラへ --(by bloom3476さん)

ビジネスホテル
はじめに、、

 一度だけだが、齊藤輝子さんと同じ飛行機に乗り合わせた事がある。 齊藤茂吉の死後、その印税を惜しげもなく使って、世界を旅した女性だ。 日航のパーサー達が畏まって勢揃いする中、もう80歳は超えていただろうに、背筋をぴりっと張って、たったひとりで、First Classのキャビンの方に歩いていった。 
伝説の旅人を目の当たりにして、思いがけずにも、神々しさを感じたものだった。  後年、長男の茂太氏に、お話を聞く機会があった。 その話をしたら、時々、お供をさせられる、弟の北杜夫氏との珍道中のやりとりを伺って、家族の方は大変だったと知った。 しかし、老いても凛として未だ見ぬ世界へ乗り込んで行く姿を見て、生きるとは、かくあらねば、と感じた。
、、そんな考えから、老いていく母を連れて、地球の美しさや海や山のおいしさを見つける旅を始めた。 以下の文章は、そんな親子の旅の備忘録にすぎない。



何処へ

この数年、ブルゴーニュからバスクまでの土地を歩いた。Autunではロマネスクのタンパンを眼にして中世の人間像を想像した。山深いConqueまでも足を伸ばし、巡礼者の旅籠に泊って様々な年齢、国々の巡礼者と触れあった。 その経験の中でキリスト信仰を持たない母にも、聖ヤコブの慰霊へと続く、この道々が欧州でも格別に祝福された地域だと感じられるようになってきた。
86歳を迎える、母と一緒に旅行を出来るのも、もう、そんなに多くは無いだろう。そのゴールである、サンチャゴ・コンポステーラを訪れる時が来たと思った。



何を準備すべきか?

母と旅して、もう20年になる。始めの内は、私の世界遺産踏破に付き合って貰って、ユーラシア大陸は、ハバロフスクから中央アジア、東欧、バルカン諸国、北欧まで、オセアニアでは離島巡り、そして兄の帰任地のアセアン諸国は一人で出かけて行った。そんな旅好きであったが、70歳を過ぎてからは、だんだん、体力が許さなくなってきた。 そのため、訪問地は3カ所位に抑えてその街に連泊して、味覚と景色をゆっくりと楽しむ日程とした。夜の外出は疲れるので、2日に一度は、土地の珍しい惣菜を市場から買ってきて、ホテルの部屋で、時間や他人を気にする事なく、パジャマのままで、ゆっくりと夕食をとった。
 だから眺望と、お風呂の良い宿を吟味した。
宿が決まってからは、ガストロミーや行事、名産品などの情報を集めて、どの街がどれだけ日数を要するかを考え、日程の案配していった。
 実は、この準備をあれこれ思案するのも愉しいものだ。 さてINと OUTが決まったら、それから航空会社を決め、負担の少ない座席を調べた。その予約を確実にする為の、あれこれを準備し終えてから、ようやく330日前の予約開始日を迎える事となる。


パリへ 
28 Apr 晴 AF277 成田 21:55 --- 04:15+1 パリ

会社を定時に退社してから、母と日暮里で待ち合わせてイブニングライナーにて成田第一に向かった。 連休だが、夜出発が少ないのか、人けの無い空港とは寂しい風景だ。 機内に入り、夕食が始まったのが、23時頃 AFの機内食は洋食が3コース Taylorの10年物のポルト酒を飲んで、ポルトへの前奏曲とした。 座席はレイ・フラット 水平からマイナス10度位下がった寝台になる。 欧州線ではBAのフルフラットから比べれば段違いだが、JLはマイナス20度位でなおかつ幅が狭いので、こちらの方が快適だ。 母は耳栓をしてからBOSEのノイズ・キャンセリングを耳にかけている。 これを手に入れてから、騒音を12時間聞き続ける事がどれだけ疲れを増しているかを知った。 良く眠れて、朝食を迎えた。

 
ポルトへ
29 Apr 小雨 U2 3773
CDG 14:35-- 15:40 OPO

同日乗り継ぎでポルトに飛び立つので空港周辺で仮眠する宿を探した。 フランス情報局のサイトのクチコミから、ibis Villeを予約した。 ここで、5時間眠った。 ビジネスホテルだが、朝食のビュッフェがしっかりとしていた。 私にはパンとバターが美味しく、フランスに来た事を寝ぼけた頭脳に目覚めさせた。
 朝10:00 シャトルバスでターミナル2Bに向かう。ポルトまでのキャリアはeasy Jet  半年前に早期割引で片道 30EURO  E-Ticketを見せてスムーズにチェックインしたが、生憎 ポルト便だけが遅延して2時間遅れで出発した。 機内は横3列 x2 飲み物は有料。長旅に加えて、この遅延で母の疲れを気遣う。


ポルトガル北部

 飛行機が雲を割って降下する。 雨が多い一帯なので、緑が濃い大地が見えてきた。ポルトガルで2番目に大きいモダンな空港 Low Fare carrier だからなのか、乗り降りは毎回、タラップから地面に階段を使う。 これも、老人にはしんどい、、LFCを使う際の注意事項だ。空港に入ると、電動カーが目聡く寄って来て母をバッゲージまで送ってくれた。望外のサービスに、この国の印象が良くなる。EU圏内なので、イミグレーションもなく、国内線のように出口に出てしまう。両替の必要もない事に改めて感心する。

Taxiで旧市街まで向かう。 16+1.6(荷物)+1.4=19EURO を払う。
 今夜から2泊するホテルは市役所広場に面した Residencial dos Aliados 好立地に建つ19世紀の洋館をリノベートして上層階のみ宿泊施設にしている人気の宿だ。 1階には、Café Guaranyという老舗レストランがあり、毎晩 Fad や弦楽のコンサートが開かれている。 私のイメージではNYCの五番街に建つピエールのような宿と、その1階にパリのルドームがあるようなホテルであった。 通された部屋からは、広場が見渡せた。
母は長い長い旅をして、欧州の西の端に辿り着いた事を感じるまま、窓際のベッドで眠り込んでしまった。 



タメガ川に佇むローマ時代からの古都
30 Apr 晴 Amarante 〜 Porto

 4時頃には目が覚める。 母は入浴をして、また少し眠る。8時から朝食 ラテン圏は夕食も遅いので朝食はどこでも8時位、ゲルマン圏では1時間早い。 とりわけ夏時間なので、朝は暗いが夜は21時でもまだ明るい。 この日は晴れそうなので、郊外の古都 アマランテに足を伸ばした。宿から歩いて10分 Rodonorte社のバスで9:30に出発 タメガ川沿いに内陸に進む程に、ますます緑濃い土地になってくる。10:20 AMARANTE 着雨に濡れた木々に夏の朝の光が輝いている。


 この街の守護聖人サン・ゴーサロは縁結びの御利益があるらしく6月のお祭りにはポルトガル中から出会いを願う乙女達で街は溢れるとの事らしいが、水曜日の午前中には静かな地元民の朝市だけが、私達の眼を愉しませてくれた。 母はここで、葡萄と、地元の人の買い物袋を、私は、サンゴンーサロを手書きした陶版を13 EUROで買った。


 12:10のバスで戻り、そこからTaxiでカンパニャン駅の西にある Casa Aleixoに向かう。 馴染みの客で満席、10分待って、席に通される。この店はシェフも給仕も女性だ。小さな店で知る人ぞ知る老舗らしいが、母を労ってくれて、落ち着いた席に案内してくれた。 名物のタコの天ぷらと、タコ飯を注文する。 ワインはこの地方でしか呑めないヴィーニョ・ヴェルデを頼んだ。
 周りを見渡すと、この組み合わせを取っている人が多い。 そのタコ どのようにしたら、こんなに柔らかく仕上がるのか、驚くほどで、タコ飯も、米の炊き方、まぶし方がとっても旨い。 アマランテの渓谷の眺めに後ろ髪を引かれつつ、ポルトに戻ってきたが、母も私も大満足のお店だった。 デザートも食べて、24 EURO


ポルトの市場

 カンパーニャ駅まで歩き、電車に乗って次ぎの
Sao Bento駅まで戻った。 駅舎のホールを飾るアズレージョ(藍色のタイル)が見事だ。駅からは市役所広場はすぐ、歩いて10分でホテルに戻った。 母は疲れたので、寝台で休んだ。 私は
コンシェルジェに訊いて、骨董と名醸のポルト酒を捜しに街に出た。 Casa ChinezaにてBarrosの1998年のヴィンテージを1本見つけた。32 EURO也


 部屋に戻ると、母が深い寝息を立てていた。入浴をしてから、私も横になる。 気が付くと夜中になっていたので、今夜も夕食抜きで寝入った。

16世紀の栄華を歩く 
1 May 晴 Porto Cais da Ribeira

朝食をとってからチェックアウトした。
2泊で150 EURO 母は疲れて、歩くのはしんどいので、宿で休むと云う。しかし、歩く事も、健康維持と思うので、説得する。 2キロ先のカテドラルまで、なだらかな坂を歩く。寺の内陣は17世紀に作られた銀細工の装飾 洗練されていないし、南米の奴隷達の呻きが聞こえてくるようだ。 

寺の南側は急な階段がドウロ川沿いまで続いているのだが、母には無理なのでTaxiで迂回してサン・フランシスコ教会まで向かう。こちらは金装飾のバロック尽くし どれも感心しない。
先のカテドラルといい、調光とのハーモニーが欠如しているので、どれも重たくのし掛かってくる。


夏の強い光から室内を守るための措置が災いしていると思われた。 教会からドン・ルイス橋が望める。川向こうはポルト酒の会社が並ぶVila Nova de Gaia 、その昔にポルト樽を積んだ船が、今は宣伝船となって行き交っていた。

川を望むカイス・ダ・リベイラで昼食を取った。母はタコ 私はトリッパの煮込みを食べる。この辺は観光地なので、美味しくなかった。


リマの女王へ 
Porto 〜 Viana do Castelo

サンベントからカンパニョーラへ行き、そこから16:00発の急行で17:27 ヴィアナ・ド・カステロに着いた。ポルトから北に70キロ リマ川が大西洋に流れ込む河口に開いた景色は別名「リマの女王」と呼ばれている。 駅の背後に標高249mのサンタルチア山が聳え、その山頂に、今夜の宿Pousada do Monte de Santa luziaがあった。



駅からTaxiで20分あまりでネオ・ビザンチン様式の教会が見えてきて、そこから5分あまり過ぎてか3階建ての豪壮なヴィラに到着した。  

部屋に入り、ベランダに進むと、目の前にサンタルジア教会、その向こうに青い大西洋が広がっていた。 バカンスの季節では、とても泊まれない高嶺の花だが、ポサーダ(ポルトガルの国営ホテル)の会員サイトから、Golden Ageプログラムを利用すると40%も割り引かれるので、私達にも泊まれる。 ポサーダとスペインのパラドールには、会員になると、高齢者用の割引レートが用意されているので、とってもお薦めだ。
母の誕生日が近かったので、半年前の予約時にその旨で交渉したら海側の部屋でも、そのレートでOKを貰えた。(これは後述するパラドールでも利用できた)海側に張り出したレストランがあり、ご当地ミーニョ地方の料理で定評がある。 今夜は、ここで、暮れゆく大西洋を眺めながら、夕食を取った。私はここの産のステーキ 母はタコのグリルを注文した。ここのタコも柔らかく、明石で、こんなレストランがあればと余計な事を考えた。 


朝食を大事にする。 
2 May 晴



Viana do Castelo

スペインのガリシア地方に隣接した、このミーニョ地方は雨が多く、その為、農耕に適してワインの産地でもある。その中心地のヴィアナドカステーロは古来から交易で潤ったので街並みも美しく、毎週金曜に開かれる露天市には近郊から多くの人を呼んでいる。その割には観光客が多くなく、地元の人の落ち着いた生活を目の当たりにする事が出来る。 私が心地良いと思う要素が全てあり、住んでみたいと思わせる稀な土地だ。 

 ホテルの朝食は素晴らしく「リマの女王」が朝日に輝いているのを眼下に眺めながら、母はゆっくりと愉しんでいた。 母と私には、この時間が一番食べ物が美味しいと思えている。 


ヴィアナドカステロの新旧の魅力 
 ホテルの庭から、石段を下りていくとサンタルジア教会に降りられ、そこから下の街までケーブルカーが通っている。 六甲山からケーブルカーで新神戸に降りるのに似ている。駅の山側にはモダンな複合施設が新しくオープンしており、1階はバスターミナルとなっているなど極めて合理的である。線路を跨いで、海側の旧市街にはエスカレーターで降りられるが、そちらの景観は従来の港町が自然に保たれており、新旧のバランスが大変に旨くて、私はますます、この町が気に入った。


駅で翌日の鉄道切符を購入したら、スペイン国鉄がストライキをしていると聞いた。障害区間をバスで繋ぐように検討しなければ、、そういえば以前にもイタリアで慌てたっけ、メーデーの季節には欧州では、こんな事はよくある事を忘れていた。


町中で、小さなコンサートを開いていて、昔の装いで着飾った乙女達が愉しそうに歩いていた。観光局で教えて貰った小さな店で昼食をとる。 シーフード・リゾットを注文 20分待ったら熱々の鍋に 海老にムール貝、タコまで入っていた、おじやが出てきた。ちょっと塩ぱかったが、海の幸が詰まっていて、美味しかった。 焼き林檎とクリーム・ブリュレと飲み物を入れて19 EURO
 食後、街はシェスタに入り、商店は閉まっているので、駅ビルに戻り、夕食の惣菜にポトフを買ってから、ケーブルカーに乗って、ポサーダまで戻った。


歩数計を見ると11000歩を超えている、 母をまた随分歩かせてしまった。母、昼寝をする。パウロ・コエーリョの星の巡礼を読み返す。母にとっては、毎日、これだけ歩くのも、巡礼に近い苦労かと思う。 自分が86歳を迎えた時、これだけの道のりを歩けるかだろうか?と思う。母にこれ以上負担をかけずに、残りの日程を進めねばと自戒する。7時頃 ベランダのテーブルに惣菜を載せて夕食を取る。 ポトフはさめていたがが、夕陽を見ながら美味しくいただいた。


スペインに入る 
3 May 晴



Viana do Castelo - VIGO


6:00 起床 母が入浴している間にパッキングをして息子に絵葉書を書く。彼のポルト酒を大事に運ばなければと思った。チェックアウトする。 122 EURO x 2泊 
ポルトガル国鉄で国境を越える。国境のValanca
駅で、スペイン国鉄に乗り換える。 隣同士なのに直通が無く、1日1本の乗り継ぎしかないのが不思議だ。 電車はリアス式海岸(ここが由来だ!)を右側にひた走り、12:12 VIGO 着
ヴィーゴはスペインでも最大の漁港 かつて、バルチック艦隊が日本に遠征した時、ここで補給をしたかったが、日英同盟のおかげで寄港を拒否されたのは「坂の上の雲」で読んだ。 ここに泊まる事にしたのは、有名な海鮮食堂街とガリシア地方で一番大きいEl Corte Ingresがあるからだ。 

駅前の Hotel Ogallaに荷を下ろし、早速、Pesqueda通りにある海鮮食堂街に向かった。 波止場に着くと、牡蠣をその場で剥く屋台のおばさん達の威勢のよいかけ声が聞こえて来るので、すぐに判った。ムール貝の蒸したの、タコのパプリカ煮、蟹の盛り合わせ!!、CAVA(シャンパン)を頼んだ。ここの蟹は味噌がたっぷり入っていて、ほっぺたが落ちる程、美味しい。ガリシア地方の人の味覚は、びっくりする位日本人には合っている。 こんな地域は地球上でも数える位しかないと思う。レモンのソルベとエスプレッソを追加して、全部で 36 EURO 


母も大満足の昼食 CAVAの酔いもあったのでホテルに戻って、母は昼寝。 私はすぐ近くの
El Corte Inglesに行く。日本に輸入されていないパイプの杖を購入 医療品には優遇処置があり、
9 EURO それから、ワイン売場で Pesquela 2000年 @18 EURO x4, Segura Viudas CAVA@32 EURO x 4  オリーブ缶 チョコレート クッキーなどを購入した。デリカテッセンでキッシュを買って、CAVAの小瓶で夕食にした。

  
星降る町へ 
4 May 雨

VIGO – Santiago de Compostela

VIGOのバスターミナルを朝 7:30に発つ。
前日までの夏はどこへ行ったのか、今日は冬のような冷たい雨だ。 街道沿いのバス停から、この雨で歩く事を断念した巡礼者もたまに乗ってくる。目印は帆立貝をぶら下げた杖だ。Pontevedraを経由して、9:10 サンチャゴのバスターミナルに着く。8.5 EURO タクシーでパラドールに向かう内に教会の尖塔が見えてくる。 

程なくして、車はオブラドイロ広場に入り、カテドラルの前で止まった。 Parador Dos Reis Catolicos 教会の隣に建つ、この建物は 巡礼者を癒す病院として1499年に王が作った。 そのホスピタルがホスタル〜ホテルとなり、道中で休憩を取った処がRest 〜 レストランに成っていった。
旅の原形となったサンチャゴ巡礼のゴールにある、この病院から西洋のホテルの歴史は始まった。
Paradorとしてはアルハンブラ宮殿に隣接するParador"San Franciscoと並んで、予約が取りにくい。ここも会員になると、シニア割引があり、7ヶ月前にツインを半額で押さえ、母の誕生日のお陰でスイートに上げて貰った。172,2 EURO
 

チェック・インをしてから2階で朝食を取った。
ここの朝食は、私の経験では、タオルミナのサンドメニコ・ホテルと双璧をなす豪華さだ。前菜にキャビアとシャンパン、北海で捕れる魚介類、サーモン、数種類の生ハム、チョリソー等のソーセージ類、トルティーヤが3種類、卵料理2種、白アスパラ他、野菜サラダ 果物、スペイン風ブルケッタ、ドルチェ等々 枚挙にいとまがない程で、2時間にも渡って朝食を愉しんだ。
 

それからホテルを出て、念願のカテドラルに入り、正午のミサに参列した。 一人の老シスターが歌うグレゴリオ聖歌に心を奪われる。ここまで歩んできた母の苦労も癒されていくのを感じた。 司祭が11:30までにサンチャゴに到着した人達の国名と人数が読み上げて巡礼の祝福を授けていく。聖堂内はだんだん立錐の余地もない程になった。   聖餐式が始まり、巡礼者以外の私にも聖体のパンが供された。12:50ころ天井からつるされ高い位置にあった、直径1mもあろうかおもわれる香炉が降ろされて、汗でまみれた巡礼者を清めるボタフメイロという儀式が始まった。

 
車椅子の巡礼者が司教から、直接、祝されている。ミサが終わると、席の前後の人と握手や抱擁をして、「主の平安」を祝って式典は終わった。 その後、ホテルに戻ってチェック・イン 部屋は中庭を2つも越えた棟の418号で、「ヨイハハ」とお世辞を使って母に覚えさせる。 母は入浴して、昼寝をする。 私は街に出る。 

日曜日なので、骨董屋は閉まっているので、今夜のレストランを下調べした。 地球の歩き方にも載っていたOrela というBARが観光客が辿り着けない路地にあり、地元の人ばかりで昼間から混んでいたので、目星を付けて帰ってきた。 ホテルに戻り静かなパティオで星の巡礼を読んだ。 母が起きて来た。気持ちがいい夜なのでサロンに降りて、アペリティフを飲む。重厚な雰囲気にワインの味も一際だ。 


20:00になったので、Orelaに歩いて行った。
店内は地元の人で混み合っていて、母が入って行ったので驚いていた。 隅に席を作ってもらい、海の幸 盛り合わせとタコのパプリカ煮を注文した。ムール貝、アサリのグラタン、牡蠣、カニ 3種類、海老(生、焼き)にタコ と竜宮城に迷い込んだ豪華さだ。母はスペインのビールも気に入っていつになく大食だった。ホテルに戻り、空を見上げると、星が輝いていた。



東方から東方へ 
5 May 快晴
Santiago – PARIS – 東京

教会の鐘の音で目が覚めた。 3重の窓を開ける空は快晴 昨日までの寒さはどこに行ったのかと思った。私はポルト酒たちが壊れないようにパッキングしてから手早く朝食を済ませて、母を残して、街へ出た。 目指す場所は市場 お目当ては 生ハム、テリーヌ 真空パックにして貰う。 価格も新鮮度も格別なので、離欧の朝の慣習だ。


帰路を急いだが、骨董屋のショーウィンドウで、釘付けになった。 一瞬の躊躇の後、店に入ってしまった。 それは象牙に彫られた「東方の三博士と聖母子」で、聖母子の愛らしさと救い主の誕生に驚く三博士たちの驚きが時を重ねた象牙地に丹念に描かれていて、一目で気に入ってしまった。名彫刻家マテオを生んだ、この町でしか巡り合えない一品と思って、買い求めた。Free Taxの手続きをして貰い、18世紀に生まれた、この作品が新しい持ち主と共に、遠い東方に旅立つ事になった。


慌ただしい帰路 

ホテルに戻り、12:30にチェックアウトTaxiで郊外のサンチャゴ空港に向かう。17.5 EUROパリまでの飛行は Vueling @ 75 EURO
YV 9927 SCQ 14:55 – 16:40 CDG (terminal 1)

CDG-VALでTerminal 2Fに移動してから
JL405 CDG 19:05 --- 14:00+1 成田

ブエリングを予約した半年前では、朝の出発だった。乗り継ぎに大分、時間があったのだが、LFCだけに運行中止もあるかと、Veling.Comで遅延保険に入っていた。その後、運行スケジュールが変わり、CDGの乗り継ぎ時間ギリギリとなってしまい、当日は冷や汗ものの移動だった。

(※ 帰国後 Velingから連絡があり、保険が適用されて、補償額が全額返金された。

 帰りのJAL便に乗って、母も私もほっとした。
つくづく日本人のサービスとは世界でも稀なホスピタリティに溢れているなあ、、と感心した。
無事に成田に着き、9日間 母の体調も良く、天候にも恵まれて親子で旅を楽しめた事に感謝した。

サンチャゴへの旅路で出会った巡礼者たちの、ひたむきな顔が忘れられない、、みんな人生で何が一番大切か? 到達した時の満面の笑顔で語っていた。今回の旅の収穫は、母も私もそれを知った事だ。


The World Heritage Traveler
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【旅行時期】2008/04/28~2008/05/06
【エリア】ヴァイナ・ド・カステロ
【テーマ】古城・寺院めぐり
【投稿者】bloom3476

新年会&送別会の那覇旅行(by ぶーみんさん)

ビジネスホテル
●移動
羽田 14:40 → JAL → 17:30 那覇 10:35 → JOL → 12:45 羽田
※早割利用 往復 約35000円(往路のみクラスJ利用)
●宿泊
1〜3泊目 : ホテル法華クラブ 新都心
※最上階(13F)に大浴場があります♪部屋は狭いです。
でもキレイ♪ビジネスホテルと考えてください。
  • http://www.hokke.co.jp/4701/

  • ●今回のトラブル
    ※初日、家から羽田までの移動中に体にだるさを感じたが、単なる疲れだとあまり気にしていなかったら、飛行機に搭乗した頃から寒気がしてきた。主人とは機上での待ち合わせだったので「なんか変かも・・・」とつぶやいていたら、那覇に着いた頃には自分で熱があることがわかるくらい熱くそして寒い。。。なんとかタクシーでホテルに移動し、フロントで体温計を借りて部屋に入る。体の節々が痛く熱を測ると39度1分の熱になっていた。まさか、発熱するとは思っていなかったし国内旅行だからと薬を用意していなかったので主人に即効でベンザエース発熱用(青のベンザエース)と風邪引きさん用のドリンク剤を買ってきてもらった。
    夜8時前には食べ物を口にして薬を飲んで寝ると9時半頃、汗をかいて目を覚ました。なんか体はスッキリ!気分もスッキリ!・・・熱を測ると37度1分・・・なんか、このまま治りそうな気がしたので宴に足を運ぼうかと思ったが今回のメインは翌日行われる新年会兼送別壮行会だったので、今日のところは大人しく着替えをすませて汗で濡れてしまったベッドにはバスタオルをひいて再度ベッドに戻って眠りました。すると、翌朝には35度3分になり、体にちょっとだるさは残っていたものの昨晩の熱は一体なんだったのだろうか??と言う復活でした。
    ●食事
    1日目夕食 : この日は「紅豚」をしゃぶしゃぶで食べさせてくれるお店を主人が東京で1週間前から予約をしていたようでしたが、私の発熱によりキャンセル!主人は「しょうがないな・・・」と言いながらも顔はちょっと怒ってました。予約をとるのも大変なお店だったらしいです。次回は連れて行ってください。
    と言うことで、主人は私たち同様この日に那覇に入っている他のダイバーたちと一緒の宴へと足を運びましたが、私は主人が近くのスーパーで買ってきてくれた「おでんの大根」と「おにぎり一口」を食べて後はポカリスエットを飲んで終了でした。
    ※毎回、現地のお土産を買いに行くスーパーマーケット「サンエー」がホテルから徒歩3分ほどのところにあるのが、今回はとても助かりました。沖縄県一大きいこのスーパーには本土のスーパー同様に何でもあります。薬も食事もここで主人に買ってきてもらいました。
    食材も国際通りや公設市場で買う方が多いと思いますが、食材等々品数はこちらが一番です。「DFS」のあるモノレール「おもろまち」駅からは徒歩7分弱くらいですが、とっても楽しいです。ぜひ足を運んでみてくださいね。
  • http://www.san-a.co.jp/tenpo/sc/mainplace/index.htm

  • 主人は仲間たちと毎度の「わたんじ」に行ってました。安いしうまい♪あぁ〜私も行きたかった!
    「わたんじ」 
  • http://www.ryoji-family.co.jp/watanji/watanji.html

  • 2日目朝食 : ホテルにてバイキング 行った期間は「九州・沖縄フェア」ということでその地方の料理がありました。
    2日目昼食 : 体調はすっかり良くなっていたが夜までは大人しくしていることにして、タクシーで主人が美味しいという「おきなわそば」のお店に行きました。お店は混んでいましたが、私にはおいしさがあんまりよくわからない・・・なんか年末からずっと胃の調子が悪いのでそのせいかもしれません。お客さんたちは地元の方が多いようでしたし、皆さん「おいしい!」って食べていました。(もちろん主人も)場所がちょっと不便かも。でも沖縄ではレンタカーを借りる方も多いと思いますので、お時間があったら行ってみてくださいね。
    「あじゃず」 
  • http://r.gnavi.co.jp/f008800/
  •  (ぐるなびに掲載されてました・・・やっぱ、おいしいのか?)
    2日目夕食 : これが今回のメインです!全国から集まった仲間との新年会and送別会and感謝会かな♪一声かけて、ダイビングショップのスタッフもあわせて全国から37名・・・すばらしい♪
    「ちょんまげ」 
  • http://gourmet.yahoo.co.jp/0007804667/0011743800/

  • こちらのお店はダイビングショップのスタッフのある方の弟さんがいたサンをしています。え?こんな場所に?と言う感じでしたが、おいしく食べて楽しく飲みました♪
    3日目朝食 : 2日目同様にホテルにて朝食バイキング
    3日目昼食 : この日はレンタカーを借りたので・・・なぜか「カプリチョーザ」に参りました。
    「カプリチョーザ 天久店」 
  • http://r.gnavi.co.jp/f098000/

  • 3日目夕食 : やっぱり、疲れちゃった私・・・と言うことでホテルのすぐ裏手(スーパーサンエーの向かい側)にあるおきなわ料理のお店に行きました。こちらも2度目です。何がおいしいって、しめの蕎麦ですかね♪これはお薦めです!
    「舞天(ぶーてん)」 
  • http://r.gnavi.co.jp/f077003/

  • と、ここでWeb検索をしてみたら、このお店は沖縄料理店ではなく蕎麦のお店だったみたいです。はは。。
    4日目朝食 : 同様にホテルにて朝食バイキング
    4日目昼食 : 羽田空港にて
    ●アクティビティ
    2日目 : 今回のメインは、旧那覇マリーンのスタッフと飲む事+新年だから新年会でした。前述しました「ちょんまげ」で飲むだけ飲んで、食べるだけ食べてカラオケ館に移動!なんと、37名のうち2名が帰路についただけで35名が参加。。。すぐに、「ちょんまげ」のスタッフ2名が追加参加したので結局37名で変わらず。。。途中、パラパラと帰っていきましたが朝4時過ぎまで半分は残って騒いでました♪あ〜ぁ、楽しかった♪最後は、沖縄生まれの方々が沖縄の歌を唄ってくれて最高でした♪やっぱ、来て良かった♪(熱も下がってよかった♪)
    3日目 : お昼からレンタカーを借りました。6時間で3000円ってどうよ!ステキ!「FIT」(HONDA)だから走るし♪と言うことで、気になっていた「沖縄アウトレットモールあしびなー」に行きました。何故気になったかと言うと主人が好きな「Vivienne Westwood(ヴィヴィアン ウエストウッド)」が入ってたから・・・でも、感想は行くまでもなし!ナイン・ウェストも入ってましたが、ほとんどがB級品・・・て言うか履けないでしょ!と言うほどひどい商品も陳列されていてびっくりでした。。。なので、ちらっとみて速効で帰ってきてしまいました。ただ、その帰りに那覇空港にランディングする飛行機がすごくよく見えると言う場所があるということで飛行機好きの私たちは行ってみました♪場所は瀬長島に渡る途中の道路です!最高〜によく見えました♪あまりに近くて、写真が撮れない感じでした。時間のある方はぜひ寄ってみてくださいな♪
    「瀬長島」 
  • http://www.ritou.com/ritou/senaga.shtml

  • その後、またまたいつも寄るお店(ブティック?)「HUB BOX(ハブボックス)」に行きました。が、今回は気に入るTシャツがなく購入なしでした。残念!場所は、モノレール「県庁前」駅から国際通りに入って間もなく右側にあります。沖縄っぽいおしゃれなTシャツたちがたくさんあります♪
    「HUB BOX」 
  • http://www.habubox.com/index.jsp

  • 4日目 : 荷物はほとんど宅配で出し、午前便にて東京へと向かいました。安いチケットだったので午後便は利用できないんです!
    ●感想
    ・温度は沖縄で、こんなに寒くなることはない!と地元の方々が口にするほど寒かったです(東京と変わらなかった)!どうやら、私たちが行っていた金曜日〜日曜日にかけてだけでした。日曜日の午後くらいから、例年の気温に戻ってきたみたいで月曜日はまぁまぁ暖かかったです。(って帰る日じゃん!)それだけが、悲しかったです。
    ・沖縄も去年から何度か来ていると、なんかいつでも来れるような錯覚に陥ってしまう・・・主人は、那覇と石垣の仕事が決まったようで今年も3月〜4月にかけて、また何度か来れるらしい・・・いいなぁ〜。思うんですけど、那覇ではホームレスって見ないな・・・私だったらホームレスするなら、暖かい方がいい!と言うと主人が台風の時死ぬぞ!と言いました・・・確かに!でも、もしかすると以外と本土より景気がよい?のかな?と思った私でした。

    【旅行時期】2009/01/23~2009/01/26
    【エリア】那覇市内全域
    【テーマ】グルメ
    【投稿者】ぶーみん

    奈良ホテルで過ごすのんびり主婦休暇♪(by 4人目のふーさんさん)

    ビジネスホテル
    今回の奈良旅行が決まった時、1人だし安いビジネスホテルでいいかぁと思っていました。

    が、ガイドブックで見た奈良ホテルに一目ぼれ♪
    本当は今年で100年を迎える本館での宿泊が理想ですがシングルはなくお値段高めㅠㅠ
    なので、新館のシングルでの宿泊に決定しました。

    たまには1人でのんびり休暇もいいもんだねぇ〜


    【旅行時期】2009/02/06~2009/02/07
    【エリア】奈良駅・奈良公園周辺
    【テーマ】
    【投稿者】4人目のふーさん

    韓国紀行7(6):5月5日:束草・雪嶽山、ケッペの渡し、バスでインチョンへ(by 旅人のくまさんさん)

    ビジネスホテル
    <2000年5月5日(金)>

     今日の最大の目的地は、ソラクサンです。私が4回目、Muさんは更に多くの回数を重ねた山です。何度来ても、飽きない韓国一の名山です。山脈と形容した方が正しいかも知れません。最近日本では『ソラクサンの水で造った焼酎、鏡月』が宣伝されていますので、結構有名になりました。富士山の伏流水で造った『銘酒何とか』と言った具合でしょう。

    <雪岳山(ソラクサン)> 
     宿をチェックアウトして、荷物はバスターミナルのコインロッカーに預ける事にしました。このコインロッカーでも、韓国の方の自然な態度の親切に感激しました。コインロッカーの調子が悪く、うまく鍵が閉められないでいると、若いカップルの女性の方が、手を出して手伝ってくれました。男性の方にも指示しながら、一生懸命手伝ってくれました。それで、調子の悪いコインロッカーに、無事鍵がかかりました。『カームサハムニダ』と心をこめてお礼を言いました。
     相変わらずソラクサンは、観光の名所として平日でも賑わっていました。最初にロープウェイの予約をしました。既に1時間40分待ちになっていました。その時間を利用して、付近を散策しました。それで、揺すり岩の方向へ向かうことにしました。一寸したハイキングです。
     大分登ったところに茶店があり、揺すり岩まではあと600m程でした。健脚のUeさんとMuさんは躊躇無く、更に上を目指しました。私はここで待つ事にしました。膝の調子もありましたが、俳句を作るのに好都合の場所だったこともありました。茶店近くには白い観音像や、お寺があり、こちらにも興味を引かれました。揺すり岩は以前に見学済みでしたから、今回はどうしても行きたいという気持ちは湧きませんでした。
     1時間40分の待ち時間を読んで、ロープウェイ乗り場に戻りました。あと2組目で出発の番でした。実際には2時間ほど待ったようです。ゴンドラは、谷を越え、最後は切り立った岸壁に対し、垂直と思える角度で頂上へ向かいました。僅かに霞んでいましたが、絶好の登山日和でした。山頂では山桜がまだ咲いていました。
     ロープウェイを降りて、山頂に向かうには暫く山道が続きます。整備はしてあるものの、結構険しい道です。家族連れやカップル、団体客などで、混み合った中を、頂上を目指しました。
     小さな子供さんを抱えた若いお父さんは、全身汗びっしょりになって、岩にへばりついていました。両手、両足を使って上り下りする人が多い中で、このお父さんの頑張りは際立っていました。日本なら、お母さんに止められてしまうのが、普通でしょう。万が一場合の確率が、余り低くないと感じる岩肌と傾斜です。
     天気も良かったので、汗をかいて頂上にたどり着きました。ここは余り広くないので、みんなで記念写真を撮った後、途中まで降りました。殆んど草木の生えていない、まさに岩の山です。ところが、そんな岩山の水溜りに蛙が2匹いたのには驚かせられました。背中が緑、腹がイモリのように赤い色をしていました。未だ見た事がない種類の蛙でした。
     頂上から四囲を見渡すと、更に険しく高い山並みが連なっていて、この山の懐の深さが窺い知れました。一帯が国立公園として指定されていて、山中には滝などもあります。新緑の時期も素晴らしいですが、紅葉、冠雪の時期も、更に素晴らしいに違いありません。残念ながら、こちらは絵葉書で想像するだけです。

    <親切なタクシー運転手さん>
     ロープウェイは、帰りの順番待ちも時間がかかりました。しかし、往きほどではありませんでした。少し霞み勝ちになってきましたので、ソウルまでの飛行機の事が気にかかり始めました。
     国内線ですから1時間前に行けば十分ですが、早めに空港に向かいました。移動には、荷物がありますのでバスターミナル前のタクシーを頼みました。その運転手さんが大変に親切で、大いに助かりました。
     私達の会話の断片を聞きつけ、携帯電話を空港に繋いでくれました。勿論ハングルで話をされて、日本語が分かる人に繋いでくれました。『ソウル便は、欠航です』と、言うことが分かりました。
     そればかりか、欠航が分かった後、次は市外高速バスの連絡まで、携帯で繋いでくれました。結局は、元のバスターミナルに戻って、切符を手に入れることになりました。親切な運転手さんは、その売場まで顔を出して面倒を見てくれました。その親切さと、的確な判断に頭が下がりました。
     タクシーを降りる時に8800ウォンでしたから、1万ウォンを差し出しました。お釣りを出そうとされましたので、『チップですよ』と言って、それを押しとどめました。僅かな金でしたが、これにも丁寧にお礼をされました。

    <ソクチョからインチョンへ> 
     親切な運転手さんのお陰で、余り時間の無駄をせずにインチョンに向かう事ができました。最初はソウルの予定でしたが、市外高速バス停でインチョン行きをMuさんが見付け、こちらに向かう事にしました。『これだけの韓国内旅行で、ソウルに立ち寄らないのも面白いかも』と言う、Muさんの提案に賛成したためです。
     半島横断には、相当時間がかかりますので、バスターミナル付近のコンビニで夕食を買い込みました。パンや、キンパップ、飲み物などです。私は、1合半のチンロが千ウォンなので、これにしました。晩酌も兼用です。メッチュ(ビール)は、途中どこで休憩時間を取るのか分からなかったので、敬遠しました。
     高速バスは、昨日通った道を、途中まで逆戻りするコースでした。北方面の東西横断道路の基点がカンヌンのためです。カンヌンからは殆んど真っ直ぐに西行しました。途中、いくつかの工業団地のようなところや、マンション群を見かけましたが、山間部に突然出現したと言った不思議さでした。
     地図で調べますと、『峰東高速道路』はカンヌン(江陵)からウォンジュ(原州)の北、イチョン(利川)の南を通って、スウォン(水原)からインチョン(仁川)に向かうルートとなっていました。カンヌンから南へは『東海高速道路』で、トンヘ(東海)に繋がっています。
     途中、大きなパーキングに停まり、休憩時間もたっぷり取りました。いつも利用している感じの乗客は、食堂で、麺類などを注文していました。トイレ休憩の問題はありませんでした。
     長い休憩を取っても、インチョンには余り遅くない時間に着きました。バスターミナルは、インチョン東南部付近だったようです。宿探しに付近を歩きましたが、なかなか見つかりませんでした。それで、地下鉄で旧市街付近に移動しました。しかし、そこでも宿は見つからず、結局はタクシーで元のバスターミナルに舞い戻りました。
     しばらく来ないうちに、町全体が様変わりしていて、いささか戸惑いました。バスターミナル付近で見つかったホテルは、正面からはビジネスホテル風でした。しかし,裏側からは、写真を撮るのが、はばかられる造りでした。ただし、値段は高くありませんでした。それなりに設備や備品は良かったのが救いです。食事は済ませていましたので、早めにぐっすりと休む事ができました。

    <変わったインチョンの街> 
     インチョンで泊まったのは久し振りでした。昨年の慰安会旅行では、昼食の僅かな時間だけ立ち寄っただけです。町を見学する時間の余裕はありませんでした。そのインチョンの街は、かなり様変わりしてきたことを今回知りました。
     ソクチョの街で感じたような都市再開発が、ここでも大いに進んでいたからです。ソウルとの間の地下鉄が便利になったのは、以前に経験しました。新しいバスターミナル付近は、そっくり新しい町が出現していました。移転して、新しい場所に市外高速バスも市内バスターミナルも一緒になりました。地下鉄も、線路がかなり伸びていました。
     どうやらインチョンは、昔ながらの港町から、近代的な町に大きく変容を遂げようとしています。


      雪嶽山(ソラクサン)にて
     ハングルの読経流るる山若葉

     観音の像は白無垢山躑躅

     木漏陽や芽吹き期初の山毛欅林

     縞栗鼠の人縫うて行く若葉哉

     幼子を抱きて春の岩登り

     蛙鳴く山の僅かな溜り水

     岩山のその頂やくゎとの水

    【旅行時期】2000/05/01~2000/05/08
    【エリア】束草
    【テーマ】
    【投稿者】旅人のくまさん